本社70周年記念事業所感謝祭
2024年9月15日(日)の70周年記念感謝祭を皮切りに、各拠点及び事業部でも「事業所感謝祭」が行われました。
それぞれの特色ある感謝祭で、社員やご家族の方々へ感謝を示す催しです。
その第6弾として11月2日(土)に本社が入る東京都台東区にあるヒューリック浅草橋ビルの2Fホールにて事業所感謝祭が開催されました。
その様子をフォトレポートにてお伝えいたします。
office event
2024年9月15日(日)の70周年記念感謝祭を皮切りに、各拠点及び事業部でも「事業所感謝祭」が行われました。
それぞれの特色ある感謝祭で、社員やご家族の方々へ感謝を示す催しです。
その第6弾として11月2日(土)に本社が入る東京都台東区にあるヒューリック浅草橋ビルの2Fホールにて事業所感謝祭が開催されました。
その様子をフォトレポートにてお伝えいたします。
70周年を迎えるにあたり、各拠点で社員とそのご家族を対象に事業所感謝祭を開催しておりますが本社でも事業所感謝祭を開催しました。
かつてはマザー工場と呼ばれる市川工場に本社がありました。
2013年にちょうど淡路工場の竣工と同時に今の浅草橋にあるヒューリック浅草橋ビルへ移転し、約10年の節目となりました。
この度、感謝祭はヒューリック浅草橋ビル2Fにあるヒューリックホールをメイン会場として開催されました。
当日はヒューリック浅草橋ビルの2Fにあるヒューリックホールを使って開催した本社の事業所感謝祭にはフォトスポットやホールの広さを活かした催事物が用意されささやかながら食事も用意されました。
本社の感謝祭では9月15日(日)に幕張にて開催された70周年記念感謝祭の事業所発表動画の上映も行われ、木村社長も70年の歴史を創業者の言葉とともに振り返りました。
会場では実行委員のアイディアにより実現した型抜きチャレンジも用意され老若男女が楽しめるイベントとなりました。
会場では特別な設備がなくても楽しめる化学実験コーナーが開設され、人工イクラを使った寿司軍艦づくりと宝石箱づくりが楽しめる内容となっており、参加したご家族の子供達は大盛り上がりでした。
当日はご家族のお子様向けにヒューリック浅草橋ビル8Fに入る本社のオフィスを見学できるオフィスツアーも開催されました。
会議室でオリジナルの名刺が作れるほか、社長室が記念撮影が可能なフォトスポットとなりました。
オフィスツアーでは参加された社員やご家族のお子様に木村社長が夢を尋ねる場面もありました。
社長との記念撮影とともに皆様の夢をお伺いさせていただきました。
ご参加された皆様、ありがとうございます!
本社は当社の生産拠点のように巨大な生産設備や高度な分析装置はありません。
しかし、本社には生産や設備に関する技術的な問題に向き合う生産技術部や各拠点のDXを推進しIT活用による生産性向上に取り組む情報生産性向上推進部など決して欠かす事の出来ない部署や人々が多く在籍しています。
これからも本社は各拠点が抱える課題を解決するため、各拠点と共に歩み事業部や拠点が最大限の力が発揮できるよう様々な側面からサポートできる存在を目指していきます。
拡大する市場に伴い、デジタル機器やスマートフォンが急速に普及し、
当社は未来を見据えた積極的な設備投資に踏み切りました。
新たな工場も竣工し、原料の精製設備も充実していきました。
1989年に感光材事業の製造を一手に担う千葉工場が完成します。
感光材原料の提供品質の向上と供給責任を果たすべく毎日多くの従業員が一丸となって製造に取り組んでいます。
1982年に感光材研究所が設立され、感光材事業へ本格的に進出。
イノベーションの創出と事業開発という重要な役割を担う研究所は東洋合成工業のまさに心臓部といっても過言ではありません。
1971年に設立された高浜油槽所は11基のタンクからスタートしました。
今では65基のタンク・3つの桟橋・25レーンのタンクローリー充填所を擁し東洋合成工業を支える大きな存在に成長しました。
1963年に千葉県市川市に新たに工場を設立します。
薬にも使われる酢酸エステルの製造から始まった市川工場は当社のマザー工場として大きな役割を担っていくことになります。
2024年に当社は70周年を迎えます。
世界のデジタル産業に密接に関わる当社は常に未来を見据え
”可能性の地平線を超えろ”をスローガンに
時代とともに歩んでまいります。
実は創業時は社名が違い「日本アセチレン化学工業」という社名でした。
麻酔薬などの医薬品用化学製品の製造と精製を目的として創業し、ここから東洋合成工業の歴史がはじまります。